2026.7.31
#6 200年の仕事 - 前編 -
株式会社b.note | 代表取締役 新井 達夫

Prologue
はじめに
鎌倉のランドマークであり、鎌倉三大洋館のひとつである「古我邸」。1889年(明治22年)にJR横須賀線が開通すると、多くの皇族や華族、富裕層が鎌倉に競うように洋風建築の別荘を建てたことで、鎌倉は一気に西洋館が建ち並ぶ美しい別荘地となりました。古我邸は、1916年(大正5年)に建設されてから、110年という歳月を重ねました。1923年(大正12年)に、相模湾沖を震源とした関東大震災により街は甚大な被害を受けましたが、この震災でも奇跡的に古我邸の損壊は皆無でした。110年間の歴史の中で、古我邸は様々な奇跡や出会いを経て、今ではレストランやウェディングの舞台として、日本全国から人々が訪れる、鎌倉を代表する洋館となりました。その歴史ある古我邸を、2015年に新たなカタチとして生まれ変わらせたのが、株式会社b.note 代表取締役 新井 達夫さん。紆余曲折ありながらも、古我邸の開業から今年で12年。開業当時からこれまで、そしてこれからの未来について貴重なお話を伺いました。全6章、前編・後編に分けてお届けします。
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第 1 章 古我邸との出会い
─ まず最初に、古我邸との出会いを教えてください。
実は、鎌倉を目指してきたわけではなく、この建物を目指してきたんです。当時は、新卒で入社した会社で、不動産開発の仕事をしていました。ホテルやゲストハウスウェディングの出店場所を探すのが仕事でした。青山でその1号店となるゲストハウスウェディングを立ち上げ、2号店の出店場所を探していた時、不動産会社の方にご紹介頂いたのが、古我邸とは別の鎌倉の物件でした。その物件を見に行く途中で、古我邸の前を通ったんです。その瞬間、古我邸に心を奪われました。もちろん、この場所を借りることができるかも分かりませんでしたが、「出店するなら、古我邸がいい」その気持ちが強くなり、古我邸のオーナーに直接判しに行きました。
─ 古我邸との出会いから、どのようなアクションを起こしましたか。
まずは会社へ企画を持ち込みました。でも、ちょうど会社の方針が変わってしまって、「2店舗目は出店しない」という決定が出たんです。僕としては「えっ」という感じでした。ただ、この建物を諦めるという選択肢はありませんでした。「だったら他の会社なら実現できるかもしれない」と考え、このプロジェクトをいくつかの企業へ持ち込みました。ですが、どこも手を挙げることはありませんでした。古我邸のオーナーには「やります」と伝えていたので、もう後には引けなかったですし、この場所でやりたいという気持ちが強く、最後にたどり着いた答えが、「自分でやるしかない」でした。こうして株式会社b.noteを立ち上げました。
─ 会社設立後、古我邸がオープンするまでは。
実は、オープンするまでに5年かかりました。まず、葉山のホテルでウェディング事業の受託運営を任せていただけるようになりました。その事業と並行して、古我邸のオープン準備を進めていました。
─ 始めにウェディング事業をされていたんですね。
そうなんです。前職は不動産開発の仕事をしていたため、ウェディングの「どう販売するか」という考え方が、不動産とすごく似ていました。その視点で仕組みをつくっていったら、自然とうまくいきました。だから、ウェディングを専門的に勉強したというより、自分がこれまでやってきたことが、そのまま活かせた感覚でした。スタッフも最初は2〜4人ほどで小さな会社でしたが、その事業では、売上は想定を大きく上回りました。
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古我邸レストラン内に飾られる、日本のモータースポーツのパイオニア 古我 信生氏の写真
第 2 章 古我邸開業までの苦難
─ なぜ古我邸オープンまでに5年もかかったんですか。
一つ目は「開業資金の調達」。二つ目は、この建物をレストランとして営業するための建物の「用途変更」です。当時は住宅地の中で飲食店を営業した前例が、鎌倉にはなくて、「それは無理ですね」と何度も言われました。さらに、想定を超える補修工事が発生し、資金不足にも直面しました。
─ どのようにして、開業資金を用意されましたか。
最初は、銀行はお金を貸すのが仕事だから、貸してくれるものだと思っていました。しかし、どこへ行っても融資を断られました。そこで次に商工会議所を訪ね、日本政策金融公庫から融資を受けるには、協調融資をしてくれる銀行を見つけなければいけませんでした。その中で、訪ねたとある銀行に事業計画を提出した際、担当者から「こんな事業計画書では通るわけがない。計画を修正してください」と言われました。しかし僕は一円も変えず、まったく同じ事業計画書を再度提出しました。
─ 一円も変えず、再度提出されたんですね。
そうなんです。そうしたらその銀行の部長が担当者へ、「この人と会ってみたい」と言ってくれたみたいで、その後、協調融資が成立しました。今でもこの部長さんとは付き合いがあり、当時の私を「この人は頭がおかしい人」だと思っていたと言っていました。これで開業資金は調達できましたが、次はもう一つの課題である「用途変更」です。
─ 用途変更の許可は、どのように進められましたか。
前例がなく、「誰もやっていないなら、時間をかければできるかもしれない」と思っていましたので、そこから行政との協議や住民説明会を重ねて、一つずつ手続きを進め、用途変更の許可を得ることができました。ですが、そこからまた、想定を超える補修工事に伴う「資金不足」という新たな問題が発生しました。
─ その困難は、どのように乗り越えましたか。
想定を超える補修工事が発生し、それによる数千万円の追加資金が必要となりました。その資金が足りず、工事が約2か月止まってしまいました。この追加費用を工面するため、人生で初めて両親に頭を下げ、友人にも相談し、資金を集めることができました。本当に多くの方々に支えられ、ようやく古我邸のオープンまでたどり着くことができました。
─ 今振り返って、当時をどのように感じますか。
あの時はただ、「この建物を残したい」という気持ちだけで前に進んでいました。でも今思えば、自分でよくやったなと思います。知らなかったからできたんでしょうね。目の前に課題はたくさんありましたけど、一つ解決したら次、また一つ解決したら次。本当にその繰り返しでした。
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第 3 章 鎌倉で事業を行うこと
─ 古我邸を開業されてから12年。今、鎌倉で事業を続ける中で、一番大切にしていることを教えてください。
開業当初の12年前に同じ質問をされたら、きっと違うことを話していたと思います。今改めて思うのは、この街には、何世代にもわたって"誰かが大切に守り続けてきたもの"があるということです。僕たちは、この街で受け継がれてきた歴史や、先人たちが大切にしてきたものを、自分たちも同じように大切に預かりながら、次の世代へつないでいく。それがこの街で事業をする上で一番大切にしていることです。歴史や文化は、一人の力でつくられるものではありません。何十年、何百年と積み重ねられてきたものなんです。だから僕たちは、その途中を預かっているだけなんですよね。
─ その考え方が生まれたきっかけを教えてください。
ご縁があり、鎌倉の姉妹都市である山口県萩市で仕事を始めたことが大きかったですね。実は萩市を訪れたきっかけは、古我邸開業まで走り続けた日々で心身ともに疲れ切り、「癒やし」を求めていたことでした。そこで出会った人たちとのご縁から、萩市で仕事をすることになりました。独立当初は、売上や店舗展開、事業規模など、多くの経営者と同じように、「目に見えた成功」を追いかけていた時期がありました。そんな価値観を変えたのは、萩市での事業を通して出会った人たちでした。短期的で目に見える豊かさではなく、人間としての心の豊かさを大切にしている。お金じゃない豊かさを持っている人って、本当にいるんだなと思いました。そんな人たちと過ごす中で、少しずつ自分自身の価値観が変わりました。そして、萩市での経験を通して、鎌倉を少し離れた場所から見つめ直すことができました。今では、会社を大きくすることが目的ではありません。古我邸で過ごした時間が誰かの記憶に残ること。その積み重ねが、この場所の価値を育てていくのだと考えています。心の豊かさを大切にしながら、長期的な視点で価値あるものを次の世代へつないでいきたいと思うようになりました。
─ 以前より、長い時間軸で物事を考えるようになったのでしょうか。
私は「200年続く仕事」という時間軸で考えています。もちろん200年後を自分の目で見ることはできません。だからこそ、自分たちの代で完成させるものではなく、長い時間の流れの中で受け継がれていくその価値を少しでも高め、次の世代へ手渡したい。そう考えるようになってからは、不思議と焦らなくなりました。来年のことや5年後のことだけを考えるのではなく、それ以上に、この場所を次へつないでいくことを大切にしています。
─ 経営者としてだけでなく、一人の人間としての価値観も変わりましたか。
変わりましたね。萩で出会った人たちはすごく豊かな暮らしをしているのに、お金の話をほとんどしないんです。自然の中で暮らして、地域の人と関わって、自分たちの仕事を楽しんでいる。そういう姿を見て、「本当の豊かさって何だろう」と考えるようになりました。必要な分だけあれば、それで十分幸せなんじゃないか。今はそう思っています。
─ 新井さんにとって仕事とは何でしょうか。
僕は、経営をしているという感覚よりも、表現をしている感覚なんです。建物があって、料理があって、人がいて、お客様がいる。そのすべてを一つの作品として表現している感覚なんです。だから、古我邸という場所を通して、お客様に「楽しかった」「良い時間だった」と感じてもらえたら、それが一番嬉しいですね。


株式会社b.noteが手掛ける山口県萩市のホテル「蔵の宿 閂168」
Highlight
前編のまとめ
古我邸の歩みをたどる中で見えてきたのは、この場所をつくり上げ、12年間愛され続ける場所へ育てることは、決して簡単なことではなかったということです。華やかな建物を支える裏側には、数々の困難があり、その一つひとつと真摯に向き合 い、積み重ねてきた時間がありました。だからこそ、古我邸は単なる洋館ではなく、多くの人が心を寄せる場所として、今日まで愛され続けているのだと感じます。後編では、新井さんが思い描く古我邸の未来、そして鎌倉という街で挑戦していきたいことについて、お話を伺います。

